これにも泣かされました。ハイはファイバーで軽量化されており便利でしたが、折り返しホーンのローボックスは容積の割には音は飛ばず、スピーカーが飛んでいきました。これを破棄するとき、箱がグラスファイバーなため、処理業者を困らせた記憶があります。 結局ローボックスにJBL4550を復活させ現場をこなしました。JBLは大きいけど無難なシステムだったと今でも思います。 その後、出資者の一人であったKY氏も独立し音響会社を設立しました。
1982年 サウンド沖縄も株主として出資し、 沖縄ホールサービス(株)が設立されます。
1983年頃 宜野湾市大山の58号線沿いの倉庫から 大謝名倉庫・事務所へ移転。
1984年 大謝名事務所に沖縄ホールサービス(株)の 事務所が移転してきました。 経営の厳しくなったサウンド沖縄は資金支援も受けるようになります。