プロサウンド スタック pro sound Stack

会社概要機材リスト施行実績V-DOSCこれまでの歩みお問合せ


これまでの歩み
<< BACK NEXT >>

サウンド沖縄のスタンダードシステム
アップルのYA氏は香港経由でTurbosoundを本土へ輸出?していました。何処へ行ってもターボがあるという時代の始まりです。スピーカーボックスに色がつきました。

コンポーネントタイプの嵩張るシステムからセットのしやすい1ボックスへ変わって行きます。そんな時サウンド沖縄はK1とW1という2WAYハイボックスとローボックスのシステムを中古で買い入れました。色は相変わらず黒です。

これにも泣かされました。ハイはファイバーで軽量化されており便利でしたが、折り返しホーンのローボックスは容積の割には音は飛ばず、スピーカーが飛んでいきました。これを破棄するとき、箱がグラスファイバーなため、処理業者を困らせた記憶があります。
結局ローボックスにJBL4550を復活させ現場をこなしました。JBLは大きいけど無難なシステムだったと今でも思います。

その後、出資者の一人であったKY氏も独立し音響会社を設立しました。




→コンポーネントから1ボックスへの過
期に登場したW1とK1というスピーカー

1982年
サウンド沖縄も株主として出資し、
沖縄ホールサービス(株)が設立されます。

1983年頃
宜野湾市大山の58号線沿いの倉庫から
大謝名倉庫・事務所へ移転。

1984年
大謝名事務所に沖縄ホールサービス(株)の
事務所が移転してきました。
経営の厳しくなったサウンド沖縄は資金支援も受けるようになります。

 


普天間飛行場の進入路の真下にあった 大謝名倉庫

JBL4550/MINI50/K-1/2482&2441

城島JAZZ INが始まった頃、
82年、豊見城城跡公園で
開催されたJAZZコンサート
MARTIN VRS800

いつまでも4550というわけには行かずスピーカーシステムの選定に入りました。候補はTurbosoundとMARTINです。鳴き比べたところMARTINの方が荒々しくロックに向いてパワー感があると判断し決定しました。

1986年
最大の転機になりました。
県内のPA業者の増加で競争が激しくなり本業のPAでも苦しく、制作部も行き詰まり立ち行かない状況になってきました。失業、転職を覚悟したスタッフでした。倒産寸前の頃、支援をしていた沖縄ホールサービス(株)に買収されることになりました。

沖縄ホールサービス(株)音響事業部・プロサウンドスタックの誕生です。
BACK NEXT