1997年 2/27〜3/2 india観光編
2/27 日本へのフライトまで休みになっています。市内にあるお土産物屋さんが入っているビルです。さすが入り口にはお釈迦様が座っています。
数日前に夕食で行ったベンガリー・マーケットに出かけました。
カマニ・オーディトリアム、アビマンチュ劇場、シュリーラーム・センターなどの劇場が近くにあり、コンサート等がほぼ毎日開かれているという話だ。
街路樹もお店の陳列用に利用されています。
果物がお供えにおみえるのは考え過ぎでしょうか。
学校帰りの子供達に囲まれています。液晶に映った自分たちを見てはしゃいでいます。
私たちと変わらない顔立ちです。
交差点はローターリーになっていて周囲にはいろんなお店が並んでいます。
インドに来てゲームが上手くなりました。
こちらの組は麻雀で盛り上がっています。
インドの夜更け。明日はここから200Kmほどのところにあるアグラーまで遠出をします。
2/28 バスで朝一に出発しました。交差点にはコブラ使いがいたりします。
ドライブイン的な感じでしょうか、かなりの車が休憩しています。
通勤ラッシュと遭遇しました。
人通りが途切れません。
トイレ休憩で入ったホテル・レストラン。
砂漠に近い風景です。牛は既に道路を横断していたのでバスは止まらず進めました。
県境には通行量を払う料金所があった。
昼頃にアグラーの町へ着きました。車と歩道の区別がつかないインドです。タージマハール近くは排気ガス汚染を防止するため車は乗り入れ禁止らしい。
おしゃれをしているが靴では無くゴムゾウリだ。親近感がわいたのでスナップを撮りました。
此処にきたらこのショットになってしまう。当たり前の構図だ。汚染で黒ずんでいたが最近きれいに磨いたという、美しい。建築に22年かかったという。
タージマハールでは靴を脱いで見学します。
大理石のタージマハール内ではそれぞれに楽しんでいる?風景がある。
観光組に参加したメンバーとスタッフ。
ムガール皇帝シャー・ジャハーンが王妃ムムターズ・マハルのために17世紀に建てた墓。本物の棺は地下に安置されている。
メンバーから参加した二人。ベースのアキラとヴォーカルの大川君。
16世紀にムガール帝国のアクバル大帝が建てたアグラー城。
建物の大きさがすごい。作ろうと思いたって作ってしまったところがすごい。独裁者の良いところと悪いところかもしれない。
庭園。
イギリスが攻めたとき、城内からは金や宝石類がほとんど持ち出されてしまったらしい。
アグラー城から真っ白なタージマハールが見える。タージマハールを建てた皇帝シャー・ジャハーンは、息子によってこの城に幽閉された。対岸の廟が見える部屋だったのが救いだったと思う。
アグラー市内のお土産物屋さん。裏手にある製作場が見学できるが、実際はほとんどが余所で作っているという話だ。
今日の夕食。ナンとチキンカレーです。
レストランのウェイターさん。
食べかけのカレー。インドでの器は焼き物では無く金属製が多かった。帰りは暗くなっていたが、バスはなかなかヘッドライトを点けない。安易に点けると下手だと思われるらしい。道中、事故も多かった。
3/1 イギリスの植民地時代、塩税法に反抗して塩の行進の先頭に立つガンジー。この行動はインド独立へと繋がっていく。
青果屋で店番をしている少年。
此処の2階に宝石専門のお土産物屋があるというなんだか怪しい雰囲気だ。
近くの野菜屋さん。
庶民的な市場。人、人がひしめいている。
横断幕で店の宣伝をするのが流行りらしい。インドは車優先だと思った方が良い。写真のように駐車も関係ないし、クラクションが聞こえない道路は無い。
路上で染色をしている。目の前でインドの色に染まっていく。
ホテルから街にでると見えなかったことがみえてしまう。旅にはショックなことが多い。
美術館を見学する。インドでは職人が何代も引き継いで完成させるくらいの大作がたくさんあるという話だ。
手彫りがすばらしい。
美術館の花壇。
3/2 花屋さんの商品が美観に役立っている。
ちょっとした商店街、オモチャ屋さんがあるというのでよってみました。
本屋さん。
インド衣装の少女。眉間のポイントは第三の目からきているのでしょうか。
ホテルのドアマン、お世話になりました。空港に向け出発です。
滞在中に通訳をしてくれたアイちゃん。東京の大学へ留学が決まっている優秀な学生です。彼の自宅で夕食をごちそうになりました。
空港までの道中。建物よりも高く高くと競っている看板ですが、空が広く感じます。
インドへ到着した飛行機とこれから出発する飛行機です。インドはいろんな意味で深い国でした。 (ライブ編へ戻る)
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